私のワイヤレスマイクとの出会いは、1966年新帝国劇場が開場するにあたり、当時東宝株式会社の専務で演劇担当重役であり、恩師でもある、菊田一夫先生の命に依り音響業務を担当したことから始まる。新装なった帝国劇場は客席数2000弱、大劇場である。東宝は帝国劇場でミュージカルを上演して行く構想があったようで、これ迄にも旧東京宝塚劇場で上演された和製ミュージカル『雲の上団五郎一座』1961年。『君にも金儲けができる』1962年。『ブロードウェイから来た13人の踊り子』1963年等。そして同年9月日本で初めてのブロードウェイミュージカル『マイ・フェア・レディ』が上演された。新帝国劇場にも、当然ワイヤレスマイクが設置され、池藤無線のセパレートタイプの装着用であった。後にこのタイプを使用した時期もあったと記憶しているが、なにせもう43年以上前のことなので、私の手元にも池藤無線さんのところにも資料は残っておらず記憶も定かではない。記憶にあるのは、音質が他社と比較して池藤さんの方が良かった点である。
しかし、当初から一番苦労したのは、デット・ポイントノイズである。これは大道具によっても変わるし、鉄骨を使用した道具も原因となる、或るときは停止している荷車の上に役者が腰掛けても、ノイズが発生した事もある。終演後荷車をだして貰い同じ条件でチェックしても出なかったり、徹夜をした事もしばしばある。この頃ワイヤレスに携わった同じ思いの方も多くいられると思う。最後には神頼みとしか言い様がなかった。
1967年9月ブロードウェイミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』が帝劇で森繁久弥氏、越路吹雪氏主演に依り初演された。ワイヤレスマイクはセパレートタイプ8chを使用。送信部分は衣装の胸の中央に装着し、マイクのヘッド部分は衣装に埋もれないように装着する、電源部は(BL006P使用)腰の辺りに固定する。マイク、送信部及び電池部を接続するコードは発振出力の安定を計る目的でアンテナのアースプレンとなる様工夫が施されているので、衣装の上が望ましいとされていた。その上演中の出来事、2幕1場のデュエット『Do You Love Me』の歌の前、森繁さんが家の中から出てきた時に、この電源コードを柵に引っかけて切ってしまった。森繁さんのマイクは NG。お二人は柵の前のベンチに座って歌う。オペレータはバランスを取るため越路さんの音量はやや押さえ、森繁さんの声も越路さんのマイクで取れる所は生かし、舞台前のフットマイクと併用してトラブルには違いないが客席には辛うじて歌詞が伝わるよう努力。終演後、越路さんに「私のマイクは正常なのに何故、音量を押さえたの!」大変なお叱りを頂いてしまった。
その後、やはり池藤無線のTMC-605 B型で送信機、電源部(水銀電池5.6V 20mA)が一体となったワイヤレスを使用した時期もあったが、この頃になっても、デットポイント・ノイズとの戦いは業社の方と一緒にまだまだ続けられた。
1987年6月より5ケ月間、東宝はイギリスのウエスト・エンド・ミュージカル『レ・ミゼラブル』を初演した。その前年1986年1月にロンドンに下見に行く。オープンしてまだ数ヶ月しか経っておらず、イギリスのプロダクションとは契約もしていない状態で、写真も、記録することもできず、記憶のみ、しかも2公演しか観れないという状態であった。使用していたワイヤレスはイギリス製で、Audio Engineering Ltd. のMICRON 16chマイクヘッドはSENNHEISER 2-2Rピンマイクを使用していたと記憶している。そこで、私が一番感心したのは、ワイヤレスのピンマイクを頭の額中央、もしくは耳の位置にヘッドを出して装着していた事である。これなら上又は下を向いても左右を向いても音量は安定しているので私も使わせて頂いたし、これは日本でも 『レ・ミゼラブル』上演以後あっと云う間にミュージカル中心に普及され現在に至っている。
2度観せて貰った所感は、音響も良くバランスも良いと感心したのだが1幕と2幕の最後に全員のコーラスが生音にしか感じられず、音量も迫力なく、劇的な盛り上がりに欠けていると感じた。勿論、使用しているワイヤレスは16chしかないのでバランスが取りにくい為とは思ったのだが。私は舞台上の人数を数え始めた。しかし全員が動きながら舞台前に出て来るので、とても無理と判断、10人程を数えて後はその3倍と見当を付け30人とし、SENNHEISERのワイヤレスにしようと決めて帰国し、当時、代理店であったゼネラル通商に電話、30波必要であることを告げるとドイツ本社に聞かなくてはとのことで、翌日直ぐドイツからテレックスで、可能である返事を貰った。当時の手帳に2月4日 14:00に坦当の河端さんと会い、お顧いしたと記されている。忘られない日となった。
それから1年後の4月稽古開始で、出演者は全員で31名と判る。1波足りないと思い、やりくりする積もりになって良く香盤を見て行くとエポニーヌと云う子役の台詞が無いことに気が付く。あまりの偶然に自分自身驚樗する。それによって一人一波ずつ全員が開演中マイクを他の人に、受け渡しする事もなく保持していられるので、マイクの傷みも少なく済むのである。結果、下見の時に感じた幕切れのコーラスは、私にとって満足のいく結果に成った。河端氏の言葉を借りれば「SENNHEISERに特注した30chは、当時のマルチワイヤレスシステムとしては世界最大のシステムとなり、世界的にも話題となりSENNHEISERはこの実績をスタートとして、日本国は勿論、ブロードウェイ等のミュージカル進出した」とある。
当時、私の高価な望みを叶えて下さった東宝株式会社演劇部にこの機会を借りて改めて、厚く御礼申し上げます。そして今回、お世話になりました、池藤無線社長、池藤幹男氏、ゼネラル通商の河端剛氏にも厚く御礼申し上げます。