<<PRE | <index> | NEXT>> |
|
私たちの劇団は、全国津々浦々色んな村や町や都市で日本の風土や暮らしに根ざしたミュージカルの作品を上演してきました。基本的には、ステージの前に置いた、バウンダリーマイクのみで、歌声や、セリフをひろっていたのですが、7年ほど前から、親子を対象とした作品を上演することになり、河童や天狗などのマスクプレイが増え、ワイヤレスマイクを多数使用することになりました。(今回、功労賞をいただいた「天狗のかくれ里」では16波使用)今まで使用してきた中で苦労している事というと、混信など電波環境等でのトラブルはほとんどなかったのですが、歌って踊るミュージカルなので、汗の問題が一番トラブルの原因となり、本番中にマイクが故障ということがしばしばありました。トランスミッター自体は小さなビニール袋に入れて汗をシャットアウトするなどの工夫はしているのですが、マイクの部分だけはどうしようもない状態です。 その他にもマイクを使用することに慣れていない演者たちの、大きすぎる声や、お面をつけるための声のこもり、など問題は多々あり、悪戦苦闘の日々ですが、エンジニアだけで苦労してもあまり進展はなく、結局は元の素材が良くなる方向に演者とエンジニアとでやり取りをしながら向かっていくのが理想であり、しかしなかなか器用にコントロールすることも難しく… 試行錯誤しながらこれからも精進していきたいと思います。 |
||||
このたびは功績賞をいただきありがとうございました。 賞をいただいた「ほくほくテレビ」はNHKの各放送局の先駆けとして北海道内で開始してから、この4月で4年目に入りました。番組の構成は、通常スタジオ展開に中継をはさむスタイルで、中継も常に2ヶ所。ひとつは札幌市内、もうひとつは全道各地からの中継です。市内中継はFPUやOFDMを使用し、機動力を生かした中継と、全道各地からの中継は衛星を主に使用しています。話題も豊富でそれぞれの地域に密着した話題を取り上げています。 月曜から金曜日まで毎日放送していますが、スタジオは月〜木、金曜日は札幌ファクトリー大型ショッピングモールという施設で公開放送をしています。 金曜日は通常AH帯6波、400M専用帯を2波使用して付け替えしながらの運用です。 これといった大きなNGもなくほぼ安定した運用ができています。 今後もこの状態を維持しながら放送を続けていきたいと考えています。 |
||||
スタッフの人数不足を解消するために検討された「フットマイクにバッテリーを抱かせてワイヤレスで飛ばしてしまえ」プランが今回奨励賞を受賞できましたのは、演出家やプロデューサーをはじめ出演者・スタッフ全員が協力し合えたおかげです。そしてもちろん、ハードな使用に耐えきったワイヤレスシステムのおかげでもある事は言うまでもありません。仕事を始めた頃から現在まで一貫して機械に弱い私でありますが、優秀な仲間に支えられて今日まで仕事を続けることができました。今後も優れたワイヤレスシステムを、それこそマイクやスピーカにとどまらず音響効果プランに取り入れていきたいと考えております。 |
||||
この度はTBSラジオの長寿中継番組「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」(昭和44年スタート。現在、36年目に突入!!)における、A型ワイヤレスの多角的運用実績に対し、特ラ連奨励賞を頂き有難うございました。 私自身、放送というものは「その時代を表現する」手法の1つと考えます。私どもの様に、放送において音声に携わる者にとって「その時代の音」を視聴者・聴取者に確実に届け伝え、残していく事が大袈裟かもしれませんが、与えられた使命と受け止め日々業務にあたっております。 今後も特ラ連様の活動と共に「時代の音」を紡ぎ上げて行きたいと思っております。この度は素晴らしい賞を有難う御座いました。 |
||||
特ラ連功労賞をいただき、大変ありがとうございます。特ラ連発足の時からご尽力されてきた大先輩と同じくしていただき、身に余る光栄と、ただただ恐縮しております。ワイヤレスマイクが、40MHzから400MHz、800MHzへと変遷していく流れと本数が急増していく時期に、私の仕事のタイミングがちょうど合っていた幸運とも思っております。 ワイヤレスマイクの管理と運用調整は、デジタル化への飛躍に向って今後ますます重要となっていきます。会員の皆様のご協力と特ラ連の機能の相乗効果で、ワイヤレスマイクの運用が更に円滑、順調に行われるよう、私も側面から支援をさせていただくことを申し上げて、御礼のご挨拶とさせていただきます。 (氏は現在 株・NHKテクニカルサービス勤務 編集)
|
||||
発足当時の特ラ連の状況を思い起こしますと、先ず最初の仕事はFPUを使用する放送局との協定を結ぶことで当時の郵政省のご指導でNHK、民放連、特ラ連の三者の協定を結ぶことでした。続いて全国の下部組織のはじめとして、関東広域圏の協定の調印場所の設定を行うべく郵政省に相談しましたところ、関東電波監理局の会議室を使わせていただくことが出来ました。 各地方の協定は難航し、当時の理事長、堀 威夫氏がNHKに申し入れその結果、NHKが率先して協定締結に進むことになりました。連盟の作業を進めるうちに、特ラ連の諸費用の改定が必至となり、関連団体の皆様の賛成を得て総会で認められました。 さて、機関紙「特ラ連レポート」は会員に送付するよりも、各放送局や地方の電波監理局へ送る部数の方が圧倒的に多く、その経費も膨大で、関連団体からの広告の援助で赤字を最小限にとどめることが出来、印刷も関連団体のご協力により、不慣れな事務局を助けていただきました。 この様に、数多くの皆様のご協力が、「特ラ連」を軌道に乗せる原動力となり、これがなかったら現在の特ラ連はなかったのではないでしょうか。それは特ラ連の存在理由を十分にご理解いただいたからであり、したがって今日の特ラ連があるのだと確信しております。 使用できる電波の不足はわが国だけではありません。日本の場合、FPUとワイヤレスマイクが同じ周波数帯を共有し、それを調整する機関としての特ラ連の存在は先を読んだものと思われます。これからのワイヤレスマイクは同じ周波数で世界中グローバルに使えるようになればよい、と考えております。 今回、功労賞を頂戴することになり、身に余る光栄と喜んでおります。 末文ながら、特ラ連の更なる発展と皆様のご健勝を祈念いたします。 |
||||
初代の三崎さんの後を引き継いで8年余。表彰をいただくようなことはなにもしておりませんので、恥ずかしいかぎりです。みなさまのご協力のおかげで無事勤めさせていただき、ありがとうございました。 任期中に運用連絡のコンピュータ処理、ワイヤレス・イヤーモニターの制度化など思い出に残る仕事はいくつか手がけさせていただきましたが、これらが実現しましたのもそれぞれに関わった方々の努力の賜物です。自分は何をやったかと考えて見ますと、少し旗を振っただけにすぎません。心残りは法人(社団)化ができなかったこと。行政改革の最中だったとはいえ、力の無さを痛感しております。 平成7年頃の会員数は170、会員の所有する特定ラジオマイクは1,150本余でした。10年間で会員705、所有マイク8、600本という大きな団体に成長しました。ワイヤレスマイクの需要の伸びは驚くばかりです。 免許、運用連絡と忙しさに追われましたが、この発展期に事務局の仕事をさせていただいたのは幸せであり、やりがいのある職場でした。ワンマンになりがちな私を事務局員の方々がよく支え、ついてきてくださったことに、あらためてお詫びと感謝をいたします。 「マイクはワイヤレスの時代」と、いろいろなところで言い、書きました。舞台、コンサートはワイヤレスマイクが無いと幕の揚がらない時代です。海外からの持ち込みなどの話も多く聞きました。全世界何処に行っても使えるワイヤレスを実現したいものです。世界の文化のために。 特定ラジオマイク利用者連盟のますますのご発展を期待いたします。 |
<<PRE | <index> | NEXT>> |