生まれて初めて接したマイクロホン
私がプロ用のマイクロホンと出会ったのは、大学を出てニッポン放送へ入社した昭和34年4月1日以後のことである。昔の駄菓子屋の店先に置いてあった円筒のガラス容器なようなデシケーター(乾燥器)の中に物々しく鎮座していたノイマンU-47、M-49、KM-56、M-269、ソニーC-37Aなどのコンデンサーマイクロホンであった。以後マイクロホンとは付き合いは途切れることもなく現在に至ってはいるものの、さてこれから先はどうなるかわからない年齢になった。
昭和30年代から40年代初め頃まで民放のキーステーションで使われていたマイクロホンの多くはヴェロシティ型(リボン型ともいう)のRCA−77DXと大型のRCA−44BXであるが、文化放送が持っていたALTECの639Bが羨ましかった。これは通称“鉄火面”と呼び1つの筐体の中に無指向性のダイナミック型ダイアフラムとリボン型エレメントの2つを収めて、その合成で単一指向性を作り出している。国産では東芝Aベロ、Bベロ、Gベロ、アイワVM-17Bなどであったが、いずれもベロシティ型は出力-90dB前後と大変低いのでヘッドアンプ(日本名で言えば、前置増幅器)の設計は苦労したことであろう。
ニッポン放送の公開番組では数10本の77DXを持ち込んでいたが、スタジオのアナウンス用は当初44BXやAベロであったのが後に小型でハイのよく伸びたBベロに全部代わってしまった。Bベロはまた邦楽器の収音に優れ、筝(琴)や三弦(三味線)は艶のある音が採れたものである。あるとき私は若気の至りで、まだ局にはイコライザーが無かったので秋葉原でパーツを買って入出力ともバランスタイプのイコライザー(なんて言えた代物でなくトーンコントロールの毛が生えた程度)を自作して筝のマイクに挿入してやや派手目な音に作ったら「おまえは琴をコンデンサーマイクで採ったろう!」とひどく叱られてしまった。昭和43年8月にCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)へ移ってからからのことであるが、もうヴェロシティマイクは入手不可能になって筝と三弦はコンデンサーマイク(U-67=真空管タイプ)で収音しなければならない時代にはいったとき、その若き時代のコンデンサーで採ったと誤解されたことを思い出してしまった。
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ノイマンSM−2のこと
私がニッポン放送に入社してしばらくして、新しいマイクが入ったのでテストに立ち会えといわれて初めて目にしたのがノイマンSM-2という同軸ステレオマイクロホンであった。その音を聞いてビックリしたなんてもんではなかった。70坪ほどの第一スタジオの真中にセットして人の声で視聴したとき、マイクの周辺にいる人の声が2つのスピーカーの間に距離感もなにもかもすごく鮮明に浮かび上がったではないか!
このマイクロホンはそれ以後ライブレコーディング(放送用)のメインマイクとして大活躍することになり3〜4本購入された。1964年に東京厚生年金大ホールで行われた世界ジャズフェスティバルの全公演(エンジニアは幸運なことに私だった)の収録にも使用していたがセンターマイクに使ったときに女性ボーカリスト カーメン・マックレエの真紅の口紅がマイクの風防に鮮明に付き公演終了後に皆で感激したのだった。
このSM-2というマイクロホンの軸上の周波数特性は、1KHzを中心に100Hz辺りで-15dB、10KHz辺りでは+15dBという(やや違っていたかも知れないが)ほぼ斜めの直線になっていて、それが「オフでも鮮明な音」が取れる理由になっていたようであるが、それまでf特(周波数特性)はフラットが望ましいという概念を根本から揺るがせられた出来事だった。すなわち、フラットなf特=よい音、なんてマイクには通用しなくなったと思ったから驚天動地だったのだ私には・・・・・。
その後この同軸ステレオマイクはSM-69FETなど発展してゆくのだが、私の考えているサウンドポリシーとは相容れない傾向に変わったので縁が薄れた。
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ワイヤレスマイクのこと
ニッポン放送に在職していた時代のワイヤレスマイクは40MHz帯のものであったが、公開番組の本番では同調ズレが頻繁に起きて音が飛んでしまうのが怖くて、有線のハンドマイクを舞台袖に用意しておいて緊急の場合アシスタントが舞台へ飛び出す覚悟の上での使用であった。
だから演出上やむを得ない場合だけ使用してなるべくなら敬遠したい、というのが現場の正直な気持ちだった。千駄ヶ谷の都体育館での歌謡ショウの公開番組では仮設舞台の袖に長いアンテナを置いてヒヤヒヤしながら使用していたが、当時とは比較にならないほど安定度の高い現在のワイヤレスを思うとその緊張感も今は懐かしくさえ感じられる。
その歌謡ショウでのことだが、某女性歌手がワイヤレスマイクを仕込んだままトイレに行き、エンジニアがフェーダーを絞り忘れたため水洗の水を流す音が会場に盛大に流れてしまった、というハプニングがあったというが私は記憶していない。そういえばアメリカの映画「裸の銃を持つ男」シリースの中でレスリー・ニールセンの主演する敏腕警部ドレビンが警備の途中で入ったトイレで大きな放屁、それがパーティ会場に大音量で拡声され人々が仰天する場面があったが、都体育館での事件を思い出して思わずニヤリ。
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そして今のマイクロホン
少なくともこの日本でプロの世界で最も多く使われているのはShureのSM-58を始めとするダイナミック型マイクロホンではあるまいか?
不思議なことに、ことダイナミック・マイクロホンについて言えばSM57,58以外に音響制作の現場では見かけない。それだけ良くできているとも言えるし、もうこれ以上開発を必要ともされない、ということなのだろうか?それが私には不可解に感じられる。
コンデンサー型マイクロホンは新機種が発表されているし、サラウンド対応のものも数種類存在する。
数年前までは音響関連の講義の中で、え〜、マイクロホンにはですね、1)カーボンマイクロホン、2)クリスタル型とセラミック型、3)ムービングコイル型(ダイナミック型)、4)コンデンサー型、5)リボン型(ヴェロシティ型)とありましてえ〜、ともっともらしく時間稼ぎの説明できたのだが今はダイナミック型とコンデンサー型の2つしか存在しない(とも言い切れないが実用上はこれしかない)ので話は簡単。
プロフェッショナル機器の業界の人よ、もっと頑張ってちょうよ!
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やはりC−38Aのこと
この間、或る出版社からプロジェクトXの文庫本が出て元ソニー社員だった飯田幹夫さんたちが開発し設計したC-38Bが世界で最も長寿を保って現在でも売られている、と書かれていた。このマイクロホンはその昔音の良い真空管マイクと定評があったC-37Aのトランジスタ版とされていたが私には全く別物という印象だった。音のキャラクターは相当異なってそれぞれ違う用途で用いられてきたのだ。
私がニッポン放送からCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)へ転籍したのが昭和43年8月であったが、それよりずっと以前からC-38Bは存在していた。ちなみに、ソニーのマイクロホンはこの2つだけではなく当時はたくさんの種類があり、局に在籍していたときからXY収音で使う同軸マイクC-110や、超小型のC-17B、受音軸が90°変えられるC-55、大きなデンデン太鼓のようなC-500、80年代に表れて私がトランクに6本入れて海外へ出かけてオーケストラの弦セクションに使ったC-536(軸方向のはC-535)、ダイナミック型では細いパイプで床にあるエレメントまで音を送るタイプのものまでバラエティに富んでいた。
とりわけ放送局時代に私はスリムなC-17Bを多用して“クリアな音”を作りすぎて、親しかったアレンジャー(故人)から喫茶店で「あんたの取る音はものすごく透明で綺麗なんだけど、音に心が無いよね」と言われてとても恥ずかしかった。若気の至り…・・
CBSソニーが六本木にスタジオを持ち、後に本格的な規模の大きなスタジオを信濃町に作るときにソニーのマイクロホンも参画することになり検討に入ることになった。
それまでにスタジオで各社が使っているマイクロホンは多くがノイマンやショップス、あるいはAKGなどであり、C-38Bは電気楽器のアンプ収音に使われてきた。つまり悪く言えばメインマイクと見なされない傾向が見えた。
しかしながら、C-38Bは某放送局やホール関係で大量に売れているので音を変えることができないという事情があったようであるが、前記の飯田さんたちは多分私のためではないかと感謝しているのだが特別に10本作ってくれた。それがC-38Aであった。
市販されているもとかなり異なって、外観もやや精悍で塗装も一般用は艶消しのグレーであったのがC-38Aは梨地の美しい物だった。CBS/SONYの刻印も入って嬉しかったが、なにより音は全く異なって高域の良く伸びたクリアなのが気に入った。
以後、このマイクロホンを最も多用したのは多分私だったと思う。なかんずく吹奏楽の収録には10本とも使ってしまった。後に飯田さんからC-38Aの各パーツは当時製作していた他の機種のものを流用と改造を行って製作したと打ち明けられたが、そういう事情は別にしてもこれは名機だと思ったが一般市販はされないままに終わってしまったのはとても残念であった。
その後、私は大学で音響関連の授業を担当するようになったとき、偶然その10本のC-38Aのうち4本とC-55A
1本を手にすることができるようになって昔の恋人に再会したようなひどく懐かしい気持ちに囚われた。
実は、この8月の7〜10日の4日間、喜多方プラザの薄館長と森高さんに乞われて「喜多方発21世紀シアター」という一大イベントの中のコミュニティFM:喜多方シティエフエムの生中継の仕事を引き受けた。1日1本ないし2本の一時間生放送であるが嶋田陽子さんのピアノ演奏あり、東京シティカルテットの弦楽4重奏あり、いろんな楽器を多用したコミックな「タカパーチ」さんのパフォーマンスあり、七宮史浩さんのギター弾き歌い、「こうのやすひろ」さんのピアノとギターなどもりだくさんの内容のマイクアレンジのことで悩んだが、再会したC-38A
x4、C-55A x1の5本を持ち込んで対応することにした。
写真はピアノ収音(ご覧のようにアップライトであるが)の私のゼミ学生渡辺紗緒里さんに実習を兼ねてマイクセッティングとサウンドチェックのためにピアノを弾いてもらっているところである。全てのプログラムが終了してからの反省でも、100%満足とはとても言い切れなかったが、どの演奏でもそこそこのサウンドで収音可能であり決して「籠もった」「暗い」「地味な」「汚れた」音にはならなくて良かったと思っている。なんでこのマイクロホンを後世に残さなかったかと残念で仕方がないという思いに囚われた4日間だった。
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あとがき
前記C-38Aは稀代の名器であったと思うし、C-55Aはこれでジャズのウッドベースを収音すると歯切れの極めて良い生き生きとした音になる。また、チェロの胴鳴りまで美しく収音できるノイマンM-49など、どんどんこの世から消えていってしまうのは淋しい限りなのだが、ただ懐かしがっても「時代が違うよ」で片付けられてしまうのであまり口には出さないようにしている。
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半田 健一 |
現在 尚美学園大学 芸術情報学部 情報表現科 教授 |
レコード作品 ほんの一部(編集部推薦) |
1964年
1973年
1973年
1979年
1980年
1986年
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マイルス・イン・トウキョウ
越後瞽女の唄
ビル・エヴァンス・ライブ・イン・トウキョウ
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル
ショスタコーヴィッチ作曲 交響曲第5番「革命」
ロリーン・マゼール指揮 ウィーン・フィル
ベートーヴェン作曲 交響曲第5番 運命、
シューベルト作曲 交響曲第8番 未完成
若杉 弘指揮 ドレスデン・シュターツカペレ
マーラー作曲 交響曲第1番巨人
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