特定ラジオマイク利用者連盟設立20周年、おめでとうございます。
一言で20年と言っても、時間の感じ方は年齢、個人差で違ってくるらしい。思い起こせば、私が成人式を迎えた当時の日本は学生運動の真っ直中、これまでの長い20年を振り返り、「将来どういう風に生きていけば良いのか」と大いに思い迷い悩んだ暗い時代であった。
そして現在、いつの間にか歳も六十代半ば、20年前を振り返ると、1991年はバブルの真っ直中、私は井上靖原作の映画『おろしや国酔夢譚』の録音を担当していた。撮影期間9ケ月、仕上げ期間3ケ月という贅沢なスケジュールで、現在では考えられない規模の作品であった。内容は18世紀末、千石船が嵐に遭遇しロシア領のアリューシャン列島に漂流した大黒屋光太夫ら17人の数奇な物語である。彼らは過酷な自然条件の中、長い年月をかけてシベリアを西下して大西洋岸のサンクト・ペテルブルクに辿り着き、エカテリーナU世に謁見して帰国を許される。しかし十年振りに日本に上陸出来たのは17人中2人のみで、それも幕府に囚われの身となってしまう、という何とも劇的で悲しいストーリーである。
撮影当時、ロシアはまだソビエト連邦でゴルバチョフ大統領の時代、日本とは蜜月関係にありロシア側スタッフも協力的で、イルクーツクのオープンセットは突貫工事で完成していた。ロケは広大な土地と大きな建物をバックに、キャメラは引きサイズが当然多くなる。その為、ワイヤレスマイク(RAMSA-400帯)を2波購入した。キャラクター的になるべく使いたくないが、どうしても外部マイクでは無理、と言う場合のみ役者に装着した。冬のシベリアロケは風が強く、マイナス20から40度になる。両面テープは全く接着機能を果たさず大いに悩んだことが想いだされる。照明用の電源ケーブルは寒さで螺旋状態に丸まったまま凍った大地に這わせるしかない。車のエンジンは掛からず現場に遅れる車両も出てくる。シベリアの厳冬期は本当に半端じゃないのだ。それでも奮闘努力の甲斐があり、船上での嵐のシーンはアフレコ処理であったが、他は全て同録を使用することが出来た。その一年を通しての作品で体験した色々な出来事は、まだ数年前のように記憶が新しく、その間の年月が実に短かく感じるのは、単に年齢の所為だけなのか?
その後、多くの作品でそのRAMSAは何度か修理に出したが、貴重な戦力として過酷な仕事をこなしてくれました。
このワイヤレスマイクも後日、ロケ中に出演者と共に海中に落ちるシーンで修理不能になりました。400MHz帯機よ「お疲れさま」と、感謝した日であった。