川越は江戸時代、川越藩の城下町として栄えた街で、武蔵国の商・工・農の中心地であり、江戸の北の守りとして発展してきました。江戸とは川越街道や新河岸川の舟運で結ばれ、物流の要衝で繁栄を極め、「小江戸」と称されました。
都心からは、JR、東部東上線、西武新宿線、東京メトロを利用して1時間以内でアクセス出来ます。車でも関越自動車道、圏央道、国道16号、川越街道を利用してドライブがてら行ける観光スポットであります。
そして川越は城跡・神社・寺院・旧跡・歴史的建造物が多く、国から「歴史都市」に認定されています。
戦災や震災を免れたため歴史的な街並が残っており、「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と謳われ、年間約620万人もの観光客が訪れています。
今回は、川越の観光スポットの一部をご紹介したいと思います。
一般的に川越はいくつかの地域毎にいくつかのスポットに分けられていいます。その一つが「一番街エリア」です。
江戸で完成された商家形式と言われる土蔵造りの町並みは、その多くが現役の店舗として今に継がれています。
ます。ここから次の交差点「札の辻」までの約400メートルが、国指定の「重要伝統的建造物群保存地区」で、この大通りは元禄以来の幅員を持ち、多くが100年前に建造された二階建ての蔵造りの町並みです。
また、歩くのが大変だという方には「小江戸巡回バス」があり、駅と川越の様々な観光スポットを結んでいるので、これを利用することも出来ます。
川越は福島県喜多方市、岡山県倉敷市と主に「日本三大蔵の町」の一つで、1893(明治26)年の川越の大火で町の3分の1を焼失しましたが、焼け残ったのが江戸期の蔵造り建築です。
蔵は倉庫や保管庫として建てられることが多いのですが、川越の蔵は黒漆喰を使用した店舗と住居を兼ねた「見世蔵」が大きな特徴です。
土蔵造りの特徴の一つとして、大屋根の両端に置かれた鬼瓦があります。正しくは鬼瓦とそれを包み込んだ漆喰細工の影盛(鬼板)言います。また、鬼瓦といっても鬼の面を持つものは寺以外にはほとんどありませんが、商家の大きさに比例して厚みや飾りなど豪快なものが多くあります。これらも合わせて楽しんでみたら如何でしょうか。
また、川越というと「時の鐘」も有名です。今から400年前の寛永年間に川越藩主・酒井忠勝によって建設された川越市指定文化財でもあります。
一番街の大通りの「近長商店」を東に入ると、木造三階建ての鐘撞き堂が姿を見せます。明治の大火の翌年に再建されたこの鐘は、「日本の音100選」にも指定され、400年近くにわたって川越城下に時を知らせており、今も機械式ですが一日4回、銅鐘を打っています。
一番街の大通りにはいくつかの路地があります。それらの路地には小さな稲荷もあり、大通りの賑やかさとは対照的に落ち着いた風情を漂わせています。とは言ってもここ川越は観光地、小さなアンティックショップや喫茶店などもちらほらあってお土産やお茶を楽しむことも出来ます。
「札の辻」交差点近くの「養寿院」の山門を右に曲がると「菓子屋横町」があります。
明治の始め頃、鈴木藤左衛門が養寿院の門前町として栄えるこの町で江戸菓子を製造したのが始まりといわれています。
その後の大正12年、関東大震災によって被害を受けた東京に代り駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねていましたが、現在では20軒ほどまで減少ししたそうです。
また、川越というとサツマイモが有名です。
川越は、江戸時代に焼き芋屋の宣伝コピーとして「栗(九里)より(四里)うまい十三里」と謳われた程のサツマイモの名産地でありました。
川越のサツマイモは、江戸では「川越イモ」と呼ばれていましたが、これは飢饉対策として徳川吉宗の命により関東に広めたものだそうです。
現在ではサツマイモを使った様々なお菓子や地ビールの原料にも使われていますが、最も知られているのが芋焼酎の「富の紅赤」ではないでしょうか。
そして、焼酎ときたら次は日本酒ですね。
川越は地下水や湧き水が豊富にある地域で、地酒文化が発展してきた側面を持ちます。
1875 (明治8)年、鏡山酒造の「鏡山」という日本酒が生まれましたが、2000年にその幕を閉じました。その地酒を復活させたいという思いから「小江戸鏡山酒造」の地酒「鏡山」が復活しました。
食においても豊かな水の恩恵を受け、ウナギも有名です。街中に「ウナギ」の看板が目に付きます。
今回ご紹介した以外にも、川越は様々なスポットもあります。これからの季節、暖かさに誘われ春の川越散策は如何でしょうか?