特ラ連の今昔を思う

理事、会員の方に自由に書いていただきました


「特ラ連10周年」で想うこと
 
株式会社 オトムラ
 代表取締役社長 乙村 幹
 

 特定ラジオマイク利用者連盟10周年、おめでとうございます。
 平成2年に発足以来、ラジオマイクを取り巻く環境もずいぶん変化し、また、それに伴って私達プロの職域も、一般に認知されるようになったようです。
 連盟各位、また、事務局の皆様の御努力によるものと、感謝いたします。
 さて、私がラジオマイク(ワイヤレスマイク)を最初に意識したのは、まだ40MHzの時代、昭和40年頃だったと思います。その当時のワイヤレスマイクは、相当高価で、よく壊れることもあったようです。電池も水銀の積層で、高価でした。
 アンテナも長く、体の小さい方が使うと床に届いてしまい、先を踏まれて、断線してしまうことなどしばしばありました。
 電波の安定度も悪く、Sメータを見ながらマイクの移動にあわせて、アンテナを袖で動かしたこともありました。入力オーバーすると、即、過変調をおこすため、歌手などと、マイクの使い方でトラブッた事も、記憶しています。
 その後、ダイバシティ技術が進み、一時期70MHzが出た後、200MHzの時代になり、地方でのワイヤレスマイクの需要も供給も急速に伸びました。
 私達プロが使うのと、一般に設備用で使われるのが、いろんな意味で違うこともやっと知られるようになりました。
 昭和60年代中頃に400MHz帯を導入してからは、除除に音質,安定度も良くなり、安心して使えるようになりました。
 この事は、ワイヤレスマイクが演出上、また、広く芸術的な分野に、貢献した時代と思います。
 現在では、ワイヤレスマイクが必須の音楽や、舞台芸術が多く存在することを思うと、技術,時代の変貌を感じ、また、その為の新たな責任も感じます。
 電波法の改正にともない、800MHzが急速に普及し、益々、その奥行きも間口も広がっているようです。
 A帯の運用届けでは、当初、特ラ連事務局の方に、ずいぶん助けていただきました。
運用届が出ていて、事前に調整出来るのはまれで、今はかなり減ってきましたが、当時、運用届を出さずに使用する方(特に放送局のENG)が多く、現場で発見するたびに説明し、チャンネル割りを行いました。「放送局は特別な権利があり、届け出の義務はない」という、間違った認識が横行しており、トラブルも多かったように思います。
 また、どういう訳か、私のところへ、運用調整とチャンネル割りの依頼が来ることもありました。特ラ連事務局の北陸出張所とでも思われたのでしょうか。
 現在は、その様なことも少なくなり、事務局の皆様が啓蒙運動に奔走されたおかげと感謝します。
 これからは、「イヤー・モニター用ラジオマイク」や、高音質、多チャンネルのデジタル・ラジオマイクが出現してくるのでしょうが、ぜひ、「低価格」でお願いし、期待を掛けたいと思います。 
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