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大野 進さんの死を悼む

大野進氏近影 大野さんには長い間、PASの企画運営に携わっていただきました。有難うございました。
 彼と初めて会ったのはPASの打ち合わせの時だったと思う。日本オーディオ協会の会議室で顔をあわせ、会議終了後、築地で飲んでいたとき同姓であることから、私は進さん、彼は正夫さんと声をかけていて、なんとも珍妙な雰囲気になり、オカマじゃあるまいし、と吹き出しお互いに大野さんにしましょう、と言ったことがはじまりであった。
 彼は骨っぽい江戸っ子で、少々乱暴な口のきき方をしますが気の良い男で、「私とマイクロホン」の原稿をお願いしたところ、快く引き受けてくれたのですが、タイトルのついていない原稿が届き、電話したところ、ノイマンわが命、とでもしてくださいとのこと。演歌のタイトルのようだね、と笑ったことがあった。
 彼は最初からレコード会社の仕事だったが、私は小さなプロダクションのミキサーだったので、貸スタジオめぐりに終始していた。そのようなことから貸スタジオにあるマイクで仕事する習慣がついていて、彼のようにノイマンやテレフンケンを数多く揃えるということは不可能に近かった。そんな昔話から急速に親しくなった。
 彼の録音した小椋佳のLPは家内が好きで聞いており、ジャケット裏を見て初めて彼の名前を知ってから30年くらい経つ。そのことを彼に話したら大変喜んでいた。
 ヘビースモーカーの彼が突然タバコをやめてガムをかみ始めたのに驚いたことがあった。そのことがあってから時々病院通いしていたようであったが、相変わらずPASの会議では元気な様子を見せていた。しかし彼が亡くなる2,3週間ほど前、聞きたいことがあって電話をしたところ、病院を替わることにしました、となにやらチンプンカンプンの内容だったが、それで入院していたことを知ったのだった。
平成22年9月20日、享年66歳だった。
ご冥福を祈ります。

(大野)

*PAS 特ラ連の関連7団体で構成され、プロ機器の展示会等を目的とする、プロフェッショナル・オーディオ協議会の略称です。
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