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 ワイヤレスマイクの世界とは一味違う音楽録音界の重鎮、大野進さんの登場です。
 録音機器類に精通したベテランの話からは真摯な姿勢がうかがえます。    編集部


 私とマイクロフォンとの付き合いは、プロとして約40年になります。
プロフィールにもあるように、私がこの業界に入ったのは1962年ポリドール株式会社(現ユニバーサルミュージック株式会社)です。
ポリドールは、その頃ドイツ系列のレコード会社でしたので、マイクロフォンを始めとし、コンソール、テープレコーダ、エコーマシーン等、どれをとってみてもドイツからの輸入機器が殆どであったと言っても、過言ではないほどでした。
 マイクロフォンは、コンデンサのチューブマイクが主流で、特にノイマン、テレフンケンが多かったと記憶しています。
当然の事ながら、ダイナミック、リボン系の多種なマイクロフォンを使用していましたが、その中でもノイマンのSM−2を筆頭とするダブルカプセルのステレオチューブマイクは、思い出としては強力に印象に残るマイクロフォンです。
直径は約3から4Cm、長さ22から25Cmの筒状のマイクで、上部にコンデンサのカプセルが2個上下に重なった状態でセットされていて、下のカプセルは固定ですが、上のカプセルは最上部の溝でコイン等を使用し、左右180度廻し可変する事が可能となっています。
この上下2個のカプセルの角度を90度又はそれ以上の角度調整で、通常のX−Y方式のステレオ収録も可能ですが、このSM−2達の最大の特徴は、S−M表記にもあるように「和と差」のマトリックスを組んでのステレオ収録が可能である事です。
普通は上のカプセルを下のカプセルに対して正90度に設定し、上のカプセルを双指向性、下のカプセルを単一指向性にセットして(その逆の場合も、たまにはありましたが)マトリックスを組み、正面方向からのステレオという事なのですが、初期の頃どうしても、この「和と差」の関係を理解することが困難であった事を思い出します。
当時のポリドールスタジオ(現在の青山表参道の「森 英恵さんのブティックビル」の裏にあった)では、当然2チャンネル1発録音でしたが、このSM−2マイクはストリングスやピアノのステレオ収録で大活躍をしていました。
音色としては、カプセルの物理的形状の問題からくるものと思われますが、高域に多少ピークを持った感があり、抜けは悪くないのですがシャリとした音色でした。この様な音色の補強なのでしょうかSM−23というマイクロフォンもあって、これはSM−2よりも低域を意識した、多少ブーミーな感のあるマイクロフォンであったと思います。
 その後、物理的なカプセルの形状からくる「音色」の改善型として登場してくるのがSM−69ということになるわけで、SM−69はある程度の皆様にも馴染みのあるマイクロフォンではないかと思います。
 冒頭申したように、私が育った環境がドイツ系コンデンサマイクロフォンということもあり、SM−2,SM−23,SM−69以外にノイマン、テレフンケンのU−67,M−269,U−87,KMシリーズ等チューブであれFETであれコンデンサには、本当に永い間お世話になりました。
従って、この様な事は現実的には無いのでしょうが、ジャズであろうが通常のポップス、歌謡曲でもダイナミック系マイクロフォンを一切使わず、コンデンサマイクロフォンだけで「録音しろ」と言われても、十分対応できる自信があります。
 最近のレコーディング事情は、デジタルが主流になっている影響なのか高域を意識した「刺激感」の強いサウンドが、一般的になっているような気がします。そして、そのサウンド傾向は画一的になりがちで、エンジニア独自の「個性や感性」が希薄になっているような印象を抱いているのは、私だけでしょうか。
 エンジニアリング、レコーディング、ミキシング、マスタリングの本質は、やはり何をさておいても「基本の基」ではないかと思います。コンソール上のバランスやイコライジングも、それなりに必要である事は間違いないのですが、マイキングの重要性は本当に不可欠だと思うのです。まず録音はここから始まるといっても過言ではないでしょう。このことはアル・シュミットも力説しています。
現在のようなコンピュータミュージックが主流の時代に、「生音」に接する機会の少ない状況の中なのだから「それは無理だ」とか、音の膨らみや暖かさを求めるために、チューブマイクが一種のファッションになっている現状を嘆くのは「オヤジの遠吠え」なのでしょうか。全てに関して否定的、悲観的であるのではないのですが、ある部分のレコーディング現場の話として、最近のアシスタント(オペレータ)の人の中に「マイクロフォン」と「ダイレクトボックス」を「同じ音を収録する機器」として、区別をつける事無く同等の扱いをしている者がいると聞かされた時、愕然としました。「基本の基」等を論じている場合では無いと思ったのでした。
プロとして「生音」収録から入った人はたくさんいると思います。我々はマイクロフォンがなかったり、本質的に機能していなかったら勝負になりません。この様な状況が事実であるとすれば、是非とも改善の啓蒙をしなくてはいけません。
 私自身、(社)日本音楽スタジオ協会の一員として、機会あるごとに「生音」収録のセミナーや「フルオーケストラ」のリハーサル見学会等、多少なりとも後人に対する啓蒙活動をしているつもりでおりますが、我々の考えや「基本の基」をもっと広義的に啓蒙することは、業界全体の事、いや責任であるような気がしております。業界発展のために皆様のご理解、ご協力を得て、具体的活動をしていこうではありませんか。
「私とマイクロフォン」という、ごく私的な問題から、業界全体になるような、大袈裟な話になってしまって恐縮しつつ終わりたいと思います。




大野 進
1944年6月29日生まれ
蟹座 A型
1963年4月
ポリドール株式会社(現ユニバーサル・ミュージック株式会社)入社 録音部
1970年 菅原洋一「今日でお別れ」でレコード大賞受賞
1973年 井上陽水「氷の世界」日本初LP 100万枚突破
1976年 日本初のリゾートスタジオ「IZUスタジオ」設立プロジェクト参加運営担当
1978年3月 「KRSスタジオ」設立参加 スタジオ経営 全てのレコーディングを担当
1987年11月 KRS閉鎖 「スタジオ・キーストーン」専務取締役就任
1996年5月 「株式会社ファロス」設立 代表取締役就任
2000年5月 「社団法人 日本音楽スタジオ協会」会長に就任
2002年11月現在 株式会社ファロス      代表取締役
株式会社グリーンバード   取締役
(社)日本音楽スタジオ協会 相談役
現役レコーディングエンジニア 音楽制作プロデューサー ディレクターとして活動

 
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