日本にもイヤー・モニター時代到来
日本舞台音響事業協同組合
ヒビノ株式会社 PA事業部 部長 宮本 宰

はじめに

1991年3月、シドニーでPET SHOP BOYSという、とてもダンサブルなバンドのコンサートを見ました。我々が初めてIn-ear Monitorを見た時です。会場は大規模アリーナで行われ、彼らは広い舞台を縦横無尽に動き回り、グラマラスで洗練されたステージを展開してくれました。そんな自由な動きをサポートしていたモニター・システムが、The Stage Radio Companyというイギリスの会社が開発した、Radio Stationというワイヤレス・ステレオ・インイヤー・モニターだったのです。このツアーにはこのシステムの開発者でもある、元サウンド・エンジニアのChris Lindop氏も同行していました。彼は、「数年以内にはみんなこういうモニター・システムを使うようになるよ。」と予言していました。それから程なくしてアメリカの雑誌で、ZZ TOPやGRATEFUL DEADが、舞台上にまったくモニター・スピーカーを置かないで行ったコンサートの写真を目にしたのです。([Fig-1])

   
[Fig-1] GRATEFUL DEADのステージの様子
(左:1991年5月、右:1992年6月 - Pro Sound News 1992年8月号より

 PET SHOP BOYSが使用していたシステムは、3台のステレオ送信機と7台のベルトパック受信機(1台はスペア)で、モニター・ミキサーからは3系統のステレオ・ミックスを送り、6人のメンバー/ダンサーがそれぞれ対応する受信機でモニターしていました。リハーサルが終わった後ちょっと装着させてもらいましたが、FMウォークマンでオンエアーを聞いているのとは全く異なった、自分だけの不思議な世界に入ったことを覚えています。
 本当は早速購入したかったのですが、周波数帯もRF出力も日本国内で使えるものではなかったため、独自に開発しようということになりました。最初に試みたのはミニFM局でした。微弱電波を発射できるFM放送帯域のステレオ送信機を利用し、FMウォークマンで受信してみました。微弱電波のため、送信アンテナから数メートル離れると不安定になってしまうため、漏洩同軸ケーブルを使ってメンバーの移動するエリアを何とかカバーしようとしたのです。これで、やや不安定ながらもまったく離調してしまうことはなくなりましたが、今度は、受信機のパワー不足が問題になりました。そこでバッテリー・パックを外付けにしてパワー・アップしましたが、ギタリストはギターの送信機と合わせて3個もベルトに取り付けることになり、とても煩わしいものでした。それでもロック・コンサートの中の一部で我慢して使ってもらったものです。しかし微弱電波の捕捉はやはり不安定で、結局実用レベルには達しませんでした。
 次に試みたのは、国内で安定して使えるラジオマイクの流用でした。受信機は小型のバッテリー駆動という条件から、ENG用のシステムを使ってみましたが、やはりパワー不足のため、外付けバッテリー・パックを使用せざるを得ませんでした。RFの安定性は問題がなかったのですが、信号はモノラルとなり、頭の中心部分に定位するため、やや違和感があるのと、各音源の分離に難がありました。2波使用によるステレオ送信も考えましたが、受信機が大掛かりになってしまい、実用的ではありませんでした。アーティストやバンド・メンバー、そして演出と相談し、ケースバイケースで使いやすいものを選択して運用はしてきましたが、アーティスト側も我々音響側も決して満足できるものではなく、常にフラストレーションが続いていたのです。
 今般、長年にわたる関係者の方々のご尽力、及び関係省庁の皆様方のご理解により、ついにイヤー・モニター用ラジオマイクが認可の運びになったことに対し、大変うれしく思いますと同時に、これ以降、日本のコンサート、イベント等の形が変革して行くことに、大いに期待をしております。

 イヤー・モニターの有効性


 イヤー・モニターの有効性は、従来のモニター・スピーカー・システムの役割を考えてみるとおのずと証明されます。モニター・スピーカーは、アーティスト達が演奏する際に、まずその演奏が正確に調和するため、そしてグルービーなプレイのために絶対に必要なものでした。多くのアーティストは、バランス良くモニターできる環境を要求してきました。モニター・ミキシング・エンジニアは、舞台上で演奏されている多くの音源を各アーティストの希望するバランスでミックスし、"生音"とのバランスも考慮しながらそれぞれのアーティストの耳の位置に充分な音量で届くような作業をしてきたのです。つまりその耳元では、舞台上のほとんどの音源が、かなりの音圧で存在していたのです。そしてそこからわずか20cmの位置には、かなり高いゲインのボーカル・マイクがあるのです。一方、ハウス・ミックスはひとつひとつの音源をできるだけ分離良く収音し、個別に音を整え、必要なら手を加え、それらをミックスして最終的に心地よい音空間を作り出す作業をしています。そのためのセパレーションを確保するために、マイキングには細心の注意を支払っているわけです。その意味で、このモニター・スピーカーをミックスする作業は、より良いハウス・ミックスを作る方向とは逆のベクトルとなっていました。実際、ボーカル・マイクのチャンネル・フェーダーを上げるだけで、すべての音源が聞こえてくることも稀ではありません。こんな状態で一個一個の音源をどんなに入念に作りこんでいっても、結果は常に大いなる妥協の産物だったのです。
 イヤー・モニターにより、この"耳元の位置にある大きな音圧"がほとんど消滅します。ハウス・ミックスは、上げたフェーダーのチャンネルにラベリングされている音源だけが、正確に聞こえてきます。それと同時に、舞台から直接客席に漏れてくるいわゆる"生音"も、激減します。同じ音源が時間差を伴って異なるマイクロホンに到達することで生じるコムフィルターもほとんどなくなり、ハウス・ミックスはクリアな音源でそのディテールを表現できるようになります。
 そしてこれらは、従来のマイクロホンのチョイスを根本的に変えていきます。今までは、フィードバックに強いマイクロホン、カブリの少ないマイクロホン、といった、モニター・ミックスのやり易いマイクロホンが優先的に選ばれていました。それは「ミュージシャンが気持ちよく演奏できなければ良いショーはあり得ない」という大前提の前では、FOHエンジニアは妥協せざるを得なかったからです。しかしイヤー・モニターの使用が可能になると、マイクロホンの性能の中で、フィードバックやカブリに対するスペックは今までほど重要ではなくなります。その代わり、FOHエンジニアが本当に"良い音"のマイクロホンを選択することが可能になります。
 モニター・スピーカーがなくなることは、別なメリットも生み出します。今まで舞台上は常に音の洪水でした。同じ空間の中で、各ミュージシャンが何とか自分のためのミックスをしっかりと聞き取りたい、という要求の結果、モニター・エンジニアは良くご存知の「もっと上げて!」コールに応えねばならないからです。その結果、ミュージシャンの耳も喉も疲弊してしまいます。これを連日繰り返すことは、決していいことではありません。イヤー・モニターの装着はミュージシャンを、最も大切な耳と喉の疲労から解放すると同時に、音楽の重要な要素である、"静けさ"や"抑揚"の表現力もより豊かにしていきます。
また、多くの場合、密閉に近い状態でイヤー・モニターを装着するため、会場が変わって、たとえば客席からの反射音がとても気になるような場所に行っても、モニターに関しては常に一定のコンディションを保つことができ、ミュージシャンは余計なことに気を取られず、プレイに没頭できるようになります。
 演出面でも、ミュージシャンの行くところには必ずモニター・スピーカーがなければならない、という原則から解放され、自由な動きとすっきりとしたステージングが可能になります。
イギリスの大手のツーリング音響会社、Concert SoundのRobert Collins氏がこんな話をしてくれました。「数年前だったけど、ボクがやったあるバンドのコンサートは、ステージ上で全く音がしないんだ。置いてあるバンドギアは数種類のキーボードとドラムパッドだけ。ギタリストもベーシストも、アンプがないから、プレイはしてるんだけど何も聞こえない。でも連中は全員インイヤー・モニターをしていて、その中ではちゃんと音楽空間ができていてエキサイティングな演奏をしている。で、面白いから、最初はFOHコンソールの送り出しのマスター・フェーダーを下げた状態でヘッドホンで適当にミックスを作り、それからゆっくりとマスター・フェーダーを上げていったんだ。その時に客席で聞いていた関係者のビックリした顔ったらなかったね。そりゃそうだ、フェーダーを上げるまでは演奏のパントマイムだったのが、突然ド迫力のロック空間が出現するんだからね。」

 モニター・ミックスについて

 人差し指でしっかりと耳を塞いだまま歩いて見ると、不安を感じます。特に自分の後方の様子がわかりません。人間が行動する上で目は最も重要な感覚器官ですが、耳からもかなりの情報を得ていることに気が付きます。イヤー・モニターは一般的にかなり高い遮音性能を持っています。したがってイヤー・モニターを装着しているアーティストの聴覚の情報は、そのほとんどがモニター・ミックスだけから与えられることになります。このことからもモニター・ミックスが更に重要度を増したことが理解できるでしょう。イヤー・モニターの使用上の留意点の多くの部分が、モニター・エンジニアのスキルに関わってきています。
 今までのモニター・スピーカーは、主に"聞こえない音"を補う、という概念でミックスされていました。上で述べたように、イヤー・モニターではまったく状況が異なります。密閉式の場合は25dB程度の遮音となり、外界から聴覚的に遮断されます。したがってイヤー・モニター用ミックスは、音楽を形成するすべての要素をミックスする必要があります。それは、たとえばドラムスのオーバーヘッド・マイクやリバーブ・リターンにとどまらず、必要ならばアンビエンス・マイクやオーディエンス・マイクを立ててミックスする必要さえあるのです。これは従来のモニター・ミックスの考え方とはかなり異なった、どちらかと言うとレコーディング・エンジニアのミックスに近いと言えるかもしれません。そして今までのモニター・スピーカーのミックスでは音量が最大の関心事だったのが、イヤー・モニターではミックス・バランスが極めて重要になります。当然モニター・エンジニアは、アーティストと同じドライバーを使用した自分専用のイヤー・モニターを装着して、常にアーティストと同じものを聞いている必要があります。モニター・スピーカーが併用されている場合は、それらを聞く場合はイヤホンをはずさなければならないため、煩雑な作業となります。
 また、モニター・スピーカーを併用する場合、フィードバックが起きるとイヤー・モニターを装着している人の耳に損傷を与える可能性があります。イヤー・モニターのモニター・エンジニアはこのことを理解し、細心の注意を支払う必要があります。更にまた、電波が離調した時のミュート機能や、過大入力が入った時のリミッターの設定等に関して、イヤー・モニターのシステムを十分に理解しておかなければなりません。

イヤー・モールドについて


 イヤー・モニターは、何らかの形のイヤホンを、長時間装着することになります。したがってまず、イヤー・モニターの留意点を充分に説明した上で、アーティストに抵抗感なく使ってもらうことが必要です。おそらく最初に問題になるのが、どんな形のイヤー・モールドを使うか、ということでしょう。代表的な3種類のイヤー・モールドを載せてみます。


[Fig-2]は、海外では圧倒的に使われている、カスタム・フィットのイヤー・モールドです。これは補聴器に使われているものとほぼ同じで、補聴器屋さんや耳鼻科医院で製作します。まずコットンやウレタンフォームを耳の奥に詰めてから、型剤をシリンジで注入します。10分〜20分で固まった後(この間、しゃべったり笑ったりできません)、取り出します。あとはイヤー・モールドの材質を決め、イヤホン・ドライバーを渡して成型してもらいます。イヤー・モールドの材質としては、アクリル、シリコン、ビニール、ポリエステル等があり、フィット感やアレルギーの有無等でそれぞれ異なった特性をもっていますので、専門家と良く相談して決めてください。音響的な処理として、イヤー・モールドに通気孔を開けて低域を低減したり、ダンプ剤を使って耳の中域の共鳴を補償したり、ホーン状のチューブにより高域を伸ばしたり、等のオプションもあるようです。



 [Fig-3]は、ウレタンフォーム製のユニバーサル・フィットのイヤー・モールドです。これをそのまま耳の中に押し込むと、ウレタンフォームが自然に耳道の形に馴染んでフィットするものです。最初はちょっと頼りない感じですが、慣れるとそのフィット感は結構快適です。







 [Fig-4]も、ユニバーサル・フィットのイヤー・モールドで、材質はラバーです。ユニバーサル・フィットのタイプは、手軽に使用できますが、激しい動きの中では脱落する可能性もあります。遮音特性もカスタム・フィットのものよりやや劣ります。ただ遮音性能が高いほうがいいとも言いきれません。どのタイプがいいかは個人差もあり一概には言えないのです。やはりいろいろなものを試して、最も使いやすいものを選ぶしかないようです。

おわりに
 コンサートに携わる者として、長年の懸案でありましたイヤー・モニターが運用できるようになったことはうれしい限りです。しかしながら現状を見ると、製品はほとんどすべてを海外のメーカーに頼らざるを得ない状況です。国内の電波事情と規則により、今ある海外製品が必ずしもそのまま日本国内で使えるわけではありません。結局これら海外の数社の協力が得られなければ、絵に描いた餅になってしまう可能性も残っています。実はこれからが正念場と考えております。メーカー、代理店の皆様をはじめ関係者の方々のより一層のご協力を仰ぎ、一日も早く日本のステージでイヤー・モニターを使いたいと思っております。