<<prev <index> next>>

19

八幡 泰彦


新年を迎えました。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

木馬座の有猛果敢な挑戦

お話ししたようにこの頃の木馬座はドッチボールに例えるならそれこそ「滅茶ブツケ」と云っても云いすぎじゃない。テレビで「木馬座アワー」を始めるとなったら、そのスポンサーになって前後や中CMまで全部木馬座で埋めようと云う、それまで聞いたことがないものでした。日本テレビの子供向けゴールデン枠を取っての快挙?だったらしい。わがチームも撮影のプレイバックに機材とオペレーターを手配し(東京テレビセンター)、一方仕上げ組はスタジオ(番町スタジオ)で出来上がったOA(オンエアー:放送当日)用の完成ロールにセリフと音をつけて納品と云う段取り打ち合わせでスタートしました。
 それまでのフィルム番組の局納品までのスケジュールは、OAの1週間前にダビングロール完成⇒試写しながらナレーションSE、音楽打ちあわせ⇒SE、選曲(音楽)準備、音楽SEロール完成⇒ナレーションロール完成⇒ダビング⇒納品と云う1週間掛りのスケジュール組みがスタンダードでしたから、このスケジュール自体最初から背水の陣でした。

最初のオープニングを兼ねた第一回目のダビングは、いくら待っても誰も来ないという事態から始まりました。約束の時間は夕方の5時で、その時間になっても誰も来ない。セリフを引き受けるナレーターも来なけりゃ、プロデューサーも制作も来ない。8時を過ぎた頃連絡があって今現像所を出たところだと云う。
 フィルムが着いて同時にセリフの役者(つまりナレーター)も制作助手も着いた。訊いてみると撮影はテンヤワンヤで、要するに先に進まなかった様だ。OKを出しても縫いぐるみに入っている役者にはそのことが伝わっていないので、OKが出ているのに繰り返す。するとその「繰り返し」にダメを出すのがいる。出された役者はまじめに工夫する。進行は混乱してパニックになる。「ま、それやこれやでその内に笑い出す奴がいて和気あいあいの内に大混乱ってわけさ」話を訊いている最中に誰かが納品までに3時間しかないと怒鳴ったので繋いで急ぎ定尺にしたもので、纏めることにしました。
 悪いタヌキのギロバチが車を運転して障害物に乗り上げる。NG含めて3カット続けてつないである。ナレーターたちはラッシュを見ながら笑ったり感心したりしていましたが私たちがどう処理したものか困っているのを訊くなり、ナレーターの頭になっていた新井さんが「セリフで纏めるから任しとき」ってみんなと一寸相談して直ぐ本番、そのままOKになりました。ダビングはフィルム到着後から数えて30分で終わりました。
 「素晴らしい」「多少シュールなとこもあるけど傑作じゃないか」(これは理性的芸術的には説明し辛いがと云う意味)「手際の良さは語り伝えられるに違いない」などと互いに称賛し合いました。なにしろ少ないスタッフで大きな責任を持たされているのだから、お互い足を引っ張り合うわけにはいかないし、実際「ヌイグルミ」の良さは「合わせる口がない」と云う事です。
 アフレコものはリップシンクが大事な基本技術です。セリフは適当で辻褄が合っていればよい。そうとなりゃ舞台で培ったおいらの技術を見てくれって訳で、噴いちゃっても、筋が判んなくても、ニュアンスが大事だと云わんばかりの勢いで、私たちも音楽によって意味を変えてしまうほどのモンタージュ〈効果〉を体験しました。音楽はイズミ・タクさんでした。イズミ・タクさんは面白がり屋で野次馬的な側面を持っている人でした。ですので、私達の選曲も面白がってくれました。
 ワンクールが過ぎ、無理やりこじつけ台本(専門の本書きはいなかった)だったのが、専門の台本書きが就いてくれるようになりました。稲坂さんと云う早稲田の後輩にあたるのだそうで、若々しい何でも出来そうな人でした。事実彼はその後協同広告と云う一流の広告代理店に入社し、制作局長に登りつめ、現在では銀座香十という、いわば日本香道の親会社の社長をしていますが、今でも50代でも通る若さを誇っています。彼はこの後第二木馬座で演出の早野先生と組んで本を書きまくることになりますが、常々の程の良さには感心させられたものでした。

TV番組とレギュラーの舞台と劇団俳優小劇場の仕事、それと注文が増えだしたCMの仕事、それぞれ仕事上の脈絡はないに等しいがどれもこれも刺激的だったし、どの職場も活気があった。上げ潮基調の時はどの業界もモラルがあった。ことにCMなどは「予算のかけ放題」の雰囲気があった。勿論謂れのない予算は却下されたらしいけれど。
 当時の風潮を“ハリウッド時代”と懐かしそうに云う人がいまでもいますが、そんな気がします。

TVのレギュラー番組をこなしている内に先日お話した「ケロヨンの大自動車レース」が本物になりました。35oカラーのシネスコ版で自動車がバンバン走りまくる豪華版です。ほとんどがセットで東京映画のステージを使っての事でした。16oのモノクロに慣らされていた私たちのチームにとっては初めての経験になります。本編のチームワークは流石のものでした。撮影部にしても美術部にしてもまとまりが違う。命令系統も練れたものだし、撮影部にしても撮り上がったフィルムの処理一つにしても違う。勉強になりました。
 そうこうしている内に、効果部は暇そうだから効果音の貼り付けをやっといて貰おうじゃないかと云うことになった。効果部って私たちの事だと気がついたときは既に遅しで、ダビングロールを渡されていました。昔松竹のステージで「A音に釣りこむ」「B音に釣っといてくれ」と云う会話を聞いたことを思い出しました。

「効果部さん電話だよ」と云われて事務所に行ったところ、予定通りレギュラーのTVのフィルムのマトメをするから帰ってきてくれとのこと。どうするもこうするもあったものじゃない。本編は三人ほどの残存部隊に任せて番町スタジオに入りました。
いつもの顔触れが揃っているものの、本編組に比べると何だか活気がない。フィルムはモノクロだし、筋立ても変わっていない。ましてや助監督もいるわけはないし、趣向を凝らす暇はないし、工夫のしようもない。
 飯でも食ってから始めようかと相談がまとまった所に蕎麦屋が「天丼お待ちぃ」と出前を届けてきた。「気の利いた事をするじゃないか」「本編から外されて気の毒だってのじゃないか」などと云いながら早速頂きました。とその時空かさず後の出前が届きました。私たちが一杯の天丼を食べ終えるまでの間に、控室から玄関までありという空間がすべて「天丼の上」とお吸い物で埋め尽くされました。蕎麦屋は怒鳴る、誰も(とはいっても私達しかいなかったのですが)返事しない。訳も分からないのに返事はできないこともあって、うっかり相手になるわけにもいかず、どうしようもなく睨みあいになってしまった。
 落ち着いてゆっくりと話を訊いてみると「57人前の“天丼の上”を、番スタに5時半丁度に持って来て貰いたい。飛行機の都合もあるので時間厳守で頼めるか」てな電話だったらしい。
 結局のところは悪戯電話だったようですが、蕎麦屋さんも思い当るところがあったようで、その後の話は聞いていません。天丼を食っちまった私たちは結局得をしたようですが、暫らくは天丼の匂いを嗅ぐのもいやでした。

<<prev <index> next>>