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八幡 泰彦


13、本編の仕事で教わった話、もう一寸。

 本編の場合フィルムの幅が16ミリから35ミリになっただけのことだと考えていたのは軽率でした。
 活動写真として企画されたときから拡大画面で大勢の観客を相手にすることを想定していたわけだから、すべてが最初から大仕掛けだった。勿論、一般の家庭で私的に撮影され、活動写真を楽しむようになることなど考えてもいなかった。
 光学録音はトーキーのために開発されたものであるし、カメラや編集機、ステージや照明器具、ありとあらゆるものが専用に作られ使いこなされている。将にプロで固まっている世界だと思いました。
 35ミリの缶は1000フィートの生フィルムが収められている(400フィートもあるが)。その長さは時間にして10分であること、当時の映画の紹介記事の最後に(カラー10巻)などと書かれているのはこれのことだとわかりました。中学校以来の疑問がこれで解けました。更に先々号での疑問、「ギャラは〈カン〉当たり」もこの〈缶〉でつまりは10分を単位としていることだと更に思いつきました。
 ダビングのときに頭につなぐリーダーが20コマを単位としていること、アフレコ用のリーダーが16コマを単位にしていること、それらの訳も教えてもらいました。
 ダビングのリーダーが20コマというが、本当は19コマ半であること、それは映写機の画の窓とサウンドヘッドの位置に因っていることで、ダビングのあとの編集作業に都合が良い。アフレコのリーダーが16コマなのは1フィートが16コマだからだ。光学録音機やカメラの走行が安定するのにはおおよそ10秒掛かるから同時録音はこのくらい見ておかなければ、等など。
 これまでの映画の仕事は16ミリが殆どでしたから、20コマのほうが24コマよりもカウントが取り易いのでダビングのリーダーには20コマを採用しているのだ程度の理解で済まして来たのはどうかと思いました。
 シンクロナイザーと云うものが同期を取るとるためにあると聞いて、見せてもらったのもこの頃でした。
電動のビューアーをフットスイッチを使って操作するのも見せてもらいました。バタバタやかましく暴れるフィルムを押さえつけるかのように作業しているのは印象的でした。よくこんなウルサイ中で音のことを考えられるものだといったら、ツナガリを見ているので関係ないよといわれました。

 16ミリは35ミリに比べると全てに小型軽量、簡便にして安価であることが歓迎される要因であることが挙げられるでしょうが、テレビの普及に伴い局でのフィルム映像のスタンダードになったことや民放のCM制作も16ミリで行われるのが定番だったこともあってプロダクションの数も急激に増えたようです。「よう」と云うのは、まだその頃は業界に眼が向いていなかったし、先生から教わることが多く、付いて行くのが精一杯だったからです。

 このころの16ミリ中心のプロダクションの装備は身軽でした。撮影所から帰ってみるとその落差の違いに驚いたものでした。撮影所の広さ、人数の多さ、機材の数どれをとっても余りにも違う。16ミリの場合一人で全てをこなしている会社もあれば、数人のスタッフで多くの作品を抱えているプロダクションもある。ただ全体としては活気に溢れていたように感じていました。
 16ミリが取り回しの良さに優れていた点、ドキュメンタリーなど35ミリでは「なし得なかった」世界を拓いたことは確かなことですが、この時期すでに高品質化による〈価値観の揺るぎ〉が始まったような妙な感じがしました。50年近い歴史の中で磨き上げてきた映画の世界にプロの片鱗を見てきたばかりの眼には違和感を憶えました。これは30年を隔てた今、パソコンをベースにしたネットの急激な展開とそれに乗った新商売の乱立の真っ只中にいる今、感じていることと共通することかも分かりません。

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